所 在 地 | 鳥羽市鳥羽三丁目24-1 |
電話番号 |
0599-26-3058 |
本 尊 | 千手観世音菩薩 |
宗 派 | 高野山真言宗 |
真 言 | おん ばざら たらま きりく |
開 山 | 弘法大師 |
開 創 年 | 天長年間(824〜834) |
縁 起 | 当山は平成七年六月、不審火により堂宇全焼の災難に遭遇した。典型的な観音堂様式のこじんまりと風格のある本堂であったが惜しいことである。寺伝によれば天長年間(824〜34)弘法大師が伊勢神宮、金剛証寺参詣の途次、鳥羽浦に立寄り浦人らの開運、海上安全の祈願をなされ、一丈一尺(約3m余)の千手観音像を刻み、本尊として祀られたのがはじまりと伝える。戦国時代九鬼嘉隆が鳥羽城築城の際、鍋屋崎より現在地へ移築し代々城主の祈願所とされ、寺運は栄えたといわれる。明治維新の改革で神社(かみやしろ)の潮満寺等を合併して今日に及んでいる。焼失前は、本尊はじめ、薬師如来(藤原期作)、不動明王などの諸仏像、諸仏画、古文書などが所蔵されていた。境内には天神社、七福神、歓喜聖天、役行者を祀る小堂があったが、一部残存している。三月の初午大祭には厄除参詣者が多かった。石段を登ると庫裡(現存)があり、左方向へ少し上った高台に本堂、諸堂が建っていた。境内には文久年間(1861〜64)四国の船頭が開いたといわれる新四国八十八カ所小霊場があり参詣に訪れる人が多い。境内は高台になっているので、鳥羽市内の家並みや、鳥羽湾が眺望でき、今も市民憩いの場である。現在、八十八カ所霊場を整備している。納経印は庫裡で受けられる。 |
みどころ | =千手観音像=
千手観音特有の千の手が一時に多くの動作をし、千の目が一切の事を見とおして、自在な力を発揮することをその姿にあらわした像様をもっている。顔も十一面、二十七面などあり、手も千本あるいは四十二本のものなどがある。天平時代から千手観音像の信仰が行われ、大阪・藤井寺や奈良唐招提寺には八、九世紀の尊像を伝えている。これらは、いずれも千本の手を忠実に表現しているところに特色がある。平安から鎌倉を通じ、千手観音の信仰は盛んであるが、多くは四十二臂に省略されている像が多いといわれている。現在新しく坐像千手観音像を安置している。小さな本堂は昔の観音堂で厨子は金箔ですぐれた細工がしてある。本堂消失後、町の方・若者(NPO)により、花の寺、いこいの寺として再興して慕われている。 |
年中行事 | 3月 二の午にて初午祭
4月 花まつり、春季会式
8月 お盆会
8月24日 地蔵盆会
10月 秋季会式
12月 どんどやき
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交 通 | (公共交通)近鉄JR鳥羽駅より徒歩15分。近鉄中ノ郷駅より徒歩5分。
(車)国道167号線中ノ郷西1km。 |
メールアドレス |
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ホームページ |
http://toba-kontaiji.com/ |
写 真 |
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