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第七十六番 無量山 千福寺 

むりょうざん せんぷくじ

所 在 地多気郡大台町柳原201
電話番号05988-5-0077
本  尊手引十一面観世音菩薩  宗  派真言宗山階派
真  言おん まか きゃろにきゃ そわか 
開  山聖徳太子  開 創 年推古天皇十五年(607) 
縁  起縁起によると、本尊の手引十一面観世音菩薩は、推古天皇十五年(607)聖徳太子が神勅をうけ像高五尺(約150cm)の尊像を一刀三礼彫刻された霊像にして、無量山に一宇を建て安置された。これが当山の草創と伝える。その後大徳泰澄が来山し七堂伽藍を建立し、人々の信仰を集め、益々寺運は興隆した。平安後期花山法皇(986天皇退位)は西国三十三所霊場の再興を発願され、当地を通行の折、当山に不思議な霊光あり、吉兆の立ち上るを見て、衆生済度のため、当山に参篭して祈願を続けられた。一七日目にして、法皇自ら霊告を感得。「是より西国への途次、熊野八鬼山に山賊現れ人々に危害を与えることを著し、爾後当山へ参詣の人々は手引して護り、厄難を救い、八鬼退治、願望成就のご利益を与えよう」と誓われた。この時より当山を「手引観音」と称されるように なった。と伝えられている。承安元年(1171)後白河法皇が西国霊場の再中興を発願せられた際も、当山に参篭祈願をなされている。時は下り、大永年間(1521〜28)国司北畠氏の祈願所となった。その後永禄の兵火(信長時代)に罹り、灰燼となるが幸にも本尊は恙無きを得て無事であった。以後今日に至るまで、本尊の大悲福利は広く人々に知られ、参詣者が絶えない。
みどころ寛和二年(986)天皇を退位され法皇となられた花山法皇は、熊野権現の神託をうけ、西国霊場の再興を発願され、京都山科の元慶寺にて落飾、西国巡礼の道を開かれたが、法皇が当山にて吉兆を悟り衆生済度の祈願のため参篭され、霊告を感得せられたのは、ちょうどこの頃であったと推定できる。境内奥は、苔むした庭、静かな風景は極楽浄土の心地が味わえる。花山法皇ゆかりの古刹である。
年中行事2月18日     春の大縁日 諸願成就護摩修行
8月9日〜10日  四万六千縁日
9月18日     秋の大縁日 諸願成就護摩修行
毎月18日     手引観世音縁日 家内安全大祈祷
交  通(公共交通)近鉄JR松阪駅より三交バス栃原下車徒歩50分。またはJR栃原駅下車徒歩5 0分
(車)国道42号線栃原で県道709号線を東進約4km。
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