縁 起 | 当山は、香道院護願寺と中河原大師院とが合併して開山された寺院である。護願寺は明和二年(1765)尾州国貫海僧都が今の安芸郡美里村に医王山、香道院、護願寺を創建し、氏寺祈願所として信仰を集めた。昭和十二年瑩彰が住職となったが、昭和四十年(1965)に本尊、堂宇を焼失した。中河原大師院は、現住職の祖母に当る初代院主、青山さ免法尼(1868〜1960)は仏門に帰依し、全国多くの寺院に参詣し還暦後富士山参拝を数回踏破するなど信仰心厚く人々の信頼を集めた。近郊近在から信徒が法尼の加持祈祷を受けようと参集し、難病平癒等の御利益を授かったといわれる。この大師院は昭和二十年(1945)戦災で焼失。(二代目瑩彰和上再建)その後昭和三十九年(1964)二ヵ寺が合併して救世山、大師院、護願寺と改称。堂宇、客殿、山門等を建立して現在に至っている。本尊は薬師如来、護摩堂に安置の十一面観音像は初代法尼の仁徳により、大和長谷寺本尊の分身として授仏されたものという。脇侍に不動明王と弘法大師を祀る。また厨子内に大和の仏師、太田古朴の刻んだ中河原大師法尼の座像が納められている。境内には、石塔、水かけ地蔵尊、修行大師立像が造立されている。当山は「中河原のお大師さん」と親しまれ、近郷近在の信仰を集めている。がっちりした山門を入ると左手に堂宇が建てられ、こじんまりした境内である。本堂と護摩堂は同棟内に仕切られて、それぞれ尊像が安置されている。清楚な境内で寺庭の樹木が映えて美しい。所願成就の護摩祈祷参詣者が多い。第六十九番の地蔵院は当山のすぐ近くにある。当山参詣の折には同時に参詣されるとよい。 |