所 在 地 | 伊賀市古郡559 |
電話番号 | 0595-38-1016 |
本 尊 | 五大明王 |
宗 派 | 真言宗豊山派 |
真 言 | 【 不動明王 】のうまくさまんだ ばざらだん せんだまかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
【 降三世明王 】おん そばにそば うんばざら うんはった
【 軍荼利明王 】おん あみりてい うんはった
【 大威徳明王 】おん しゅちりきゃらろは うんけんそわか
【 金剛夜叉明王 】おん ばざら やきしゃ うん
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開 山 | 徳道上人 |
開 創 年 | 養老六年(722) |
縁 起 | 当山の歴史は古く、奈良時代に遡る。創建は、養老六年(722)。徳道上人開基。
和州豊山長谷寺(総本山長谷寺)の開基である徳道上人が、長谷寺本尊の十一面観世音菩薩執行成就後に当地に於いて、「南面が晴れて霊鷲山に良く似た名利の地である」として、長谷寺本尊十一面観世音菩薩造立の余材を用いて稽文會・稽主薫の二人の仏師に命じて本尊五大明王を造り、仏閣を修造した後、天平二年(730)聖武天皇に上奏して勅願寺に定められた。
その様は「寺垣東西四町三十間、南北は長短有り。本堂六間四面、他に妙法経堂・鐘樓・金剛力士の仁王門・客殿・厨裏以上瓦葺。寺領定成九十六石」と伝えられている。
大同二年(807)願安大師中興。興福寺末であった時代もあり、「興福寺官務帳」には「僧坊十八宇 交衆十人」と、相当有力な寺院であったことが記録されている。
天正伊賀乱において、本尊のみを残し堂宇を悉く焼失。その後、紀州根来より宥俊法印が入山し元和元年(1615)に当寺を復興。宥俊法印を中興開祖としている。
徳川時代は、藩主藤堂家の祈願所として保護を受け、寺運も挽回し、寛政八年(1796)慶応法印が現在の本堂を造営。
その後、明治三十四年(1901)光如法印代に一度、次いで昭和五十五年(1980)に現住職杲深による屋根瓦葺替の大修理が行われており、現在に至っている。
また当山は、伊賀四国八十八所霊場第二十九番札所、東海三十六不動尊霊場第二十七番札所でもある。 |
みどころ | 【 本尊五大明王 】国指定重要文化財。秘仏。年に3度のみ御開帳。弘仁期の精神を発揮した傑作であるとされ、五体が完存する全国的にみても希少な仏像である。大正四年には、国宝に指定された(現在は、国指定重要文化財)。
【 大師道 】常福寺背面の不動山には、本四国八十八ヶ所大師霊場(お遍路)・西国三十三ヶ所観音霊場を勧請した石仏が各所に安置されており、それらを歩いて巡拝することのできる大師道がある。安政年間に、慶正法印により発願され、その後栄祥・栄壽法印代に勧請されたとされる。道程は、ゆっくり歩いて一巡りおよそ40分。どなたでも歩いて巡拝することのできる遊歩道になっている。
【 鰐口 】本堂内に設置。伊賀に現存する最古の鰐口で、平成八年三月に県指定有形文化財に指定されている。
この他、山内には不動山中の「御飯石」や、藤堂藩の彫刻師田中岷江の作である、本堂向拝の虹粱・左右の象鼻・虹粱上の龍・虹粱裏の鳳凰など、みどころは多い。 |
年中行事 | 1月1日〜3日 本尊御開帳
1月1日 元旦開帳法要
1月3日 初祈祷護摩供
1月18日 大般若転読会
2月1日 厄除祈願
4月3日 よくび・弘法大師御影供(本尊御開帳)
5月8日 花まつり(釈尊降誕会)
6月15日 弘法大師・興教大師誕生会
8月10日 施餓鬼法要
8月12日〜15日 お盆棚経
8月18日 会式・盆おどり(本尊御開帳)
12月15日 十夜念仏(仏名会)
12月31日 大晦日除夜式
毎月21日 弘法大師月並御影供
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交 通 | 【 電車 】近鉄大阪線・伊賀神戸駅よりTAXIで約3分。徒歩では約25分。
【 自動車 】名阪国道・上野東ICを南下。国道422号線沿い、約10km。
国道165号線・阿保交差点を北上、約4km。 |
メールアドレス |
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ホームページ |
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写 真 |
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