所 在 地 | 伊賀市西高倉3543 |
電話番号 | 0595-21-5874 |
本 尊 | 薬師如来 |
宗 派 | 真言宗御室派 |
真 言 | おん ころころ せんだり まとうぎ そわか |
開 山 | 舜栄法印 |
開 創 年 | 室町期(1390〜) |
縁 起 | 寺記によれば、保延六年(1140)の頃、藤原氏が京都東九条に興善院を建て、新居荘の水田二十町歩を寺領としていた。その荘園事務を司る薬師院が、今の徳楽寺であると考えられている。本尊の薬師如来は、寺伝によると春日仏師の作と伝えられ、脇侍の日光菩薩、月光菩薩と共に秘仏であり、三十三年目毎に開帳される。薬師三尊の両側に十二神将を祀る。当山は創建以来、専ら祈願寺であったが、宗門改めの頃から菩提寺を兼ねるようになったといわれ、舜栄法印が徳楽寺として開山したと伝える。所蔵の如来荒神曼荼羅は室町初期の作と推定され県の文化財、木造黒漆厨子は室町期の作で市の文化財に指定されている。 |
みどころ | その昔薬師如来に塩絶ちをして願かけをした信者たちが、その分の塩を奉納し白い岡になった。これが山号「塩岡山」の由来になったという。本尊薬師如来と地名「塩渕」について、寺伝によれば天正の兵火により焼き討ちされた時、本尊は虚空に飛び去り行方不明になった。その後東高倉の川の渕に潮がさして来たので、ふと底を見ると当山の薬師如来が沈んでいたといわれ、現在もその地名を「塩渕」と呼んでいる。如来荒神曼荼羅は、内院は如来荒神を中心に不動明王、愛染明王を配する三尊形式で外院には、十二の円相内に菩薩形や鬼神形を配した珍しい仏画で、わが国でも数少ない逸品とされている。黒漆厨子は扉の内側に極彩色の四天王を描いて、優美な室町期の特色を表している。当山は伊賀八十八カ所第六十七番霊場、東海四十九薬師第三番霊場でもある。 |
年中行事 | 1月1日 年越詣と修正会
1月21日 初大師(鏡開き)
2月3日 節分会星供養
3月上旬 役行者講、中旬 十善講(婦人講)
3月彼岸・9月彼岸 戦没者追悼法要
8月上旬 施餓鬼法要 12日〜15日 棚経
8月21日 十善講精霊送り
8月24日 地蔵盆
10月中旬 心経講(無縁仏供養)
11月上旬 水子供養・物故者追悼供養(老人会)
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交 通 | (公共交通)近鉄上野市駅前(上野産業会館)より三交バス西高倉下車徒歩3分。
(車)国道163号線柘植川北側500m西入り。 |
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