所 在 地 | 鈴鹿市稲生塩屋二丁目5-27 |
電話番号 | 059-386-3844 |
本 尊 | 薬師如来 |
宗 派 | 高野山真言宗 |
真 言 | おん ころころ せんだり まとうぎ そわか |
開 山 | 行基菩薩 |
開 創 年 | 奈良後期(724〜49) |
縁 起 | 縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)が東大寺大仏建立の際、神意奉詞のため伊勢大神宮へ行基を遣わしめた。途中当地方に悪疫が流行していた。行基は人々の苦しみをあわれみ、薬師如来像を自ら彫刻し当山へ安置され、開眼供養、平癒祈願をなされた。祈願の効あり悪疫は平癒したといわれる。これが当山の起こりであると伝えられている。往時は、荘厳な堂塔、大伽藍を有していたという。また、当地は往古、稲生塩屋地区発祥の地といわれ、ここに建立された当山は、村の氏寺、本尊薬師如来は、氏仏として人々から崇敬され、塩屋地区誕生に大きな存在であったと伝えられる。時は下り織田信長の伊勢進攻の兵火により堂宇伽藍は焼失してしまうが、幸いにも本尊は、難を免れ、仮堂に安置し守り続けられてきた。寛文年間(1661〜73)に至り、大徳空昭律師は再興を発願し、堂宇を再建、寺運の興隆に力を尽された。当山はこの空昭律師を中興の祖として崇められている。現在の本堂は、明治に入り、再建されたもので、本尊の秘仏薬師如来(30年に一度御開扉)、千手観音、弘法大師各像が安置されている。境内には、地蔵堂、行者堂、弁財天堂、牛頭天王、秋葉権現堂が造立している。鐘楼堂の梵鐘は、往古のものは、太平洋戦争で国に供出し、現在は昭和29年(1954)真鋳造立されたものである。7月14日の火渡り行事が有名である。 |
みどころ | 往昔は地区の氏寺であったといわれる当山には、県の無形民俗文化財となっている「稲生の獅子舞」神楽を行うときは、当山に初奉納する習わしが伝承されている。高野山の管長となり、世界の宗教大会に日本代表となった土宣法龍は、6歳の時当寺へ小僧として入寺し修業した記録が残っている。 |
年中行事 | 2月節分の日 節分会
3月15日 涅槃図公開
7月14日 天王祭・火渡りまつり
毎月8日 護摩供 諸祈祷
毎月21日 弘法大師御影供、お接待日
春秋季永代法要 |
交 通 | (公共交通)近鉄白子駅より三交バス塩屋口下車徒歩10分(車)国道23号線寺家口より西入り |
メールアドレス |
|
ホームページ |
|
写 真 |
|